延辺朝鮮族自治州旅行④~龍井

最終日は延吉から近郊の龍井まで半日観光をしてから、上海まで飛行機で戻った。龍井は旧日本統治時代には「間島」と呼ばれていた地域であり、今でも当時の建物が比較的よく残っている町だ。延吉から龍井まで約40分のバス移動では、窓から見る日本とよく似た農村風景を眺めながら、かつて日本であった時代に思いを馳せた。龍井市内では旧間島領事館や日本時代に建てられた大成中学など、昔の雰囲気が残っている場所を主に散策した。昔は独立運動が盛んだったという物々しい感じはまるでなく、全体的にのんびりした雰囲気で、同じく日本に統治されていたことのある台湾の地方都市や韓国の仁川と似たような感じだなと思った。

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龍井の街並みを見学した後、まだ時間があったので、朝鮮の民族詩人「尹東柱」の生家までタクシーで行くことにした。田園風景を抜けて20分ほどでたどり着いたが、何と門が閉まっていた。ただ、よく見ると、張り紙が張っており、用がある人は電話するよう書いてあったので、ダメ元で電話をかけてみることにした。すると、地元の朝鮮族の方が応対してくれたのだが、こちらが韓国人だと思ったのか、中国語で話しても繰り返し朝鮮語で話しかけられるので、日本人ですと伝えると、少し驚いた様子で、すぐ行くから少し待ってくれと言われた。電話をした朝鮮族の方がくると同時に、運よく韓国人の団体客も丁度到着して、一緒にまぎれて中へ入ることができた。当たり前だが、中は完全に朝鮮民族同士の世界になっていたので、入場料を渡してしばらく写真を撮った後、そそくさと記念館を後にした。もし韓国語が出来たら、もう少し楽しむことができたのにな、と少し残念に感じた。しかし、家の裏にある小高い丘に登って、おそらく詩人も見たであろう光景を眺めることが出来て、感慨もひとしおだった。

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帰りの飛行機の中では、偶然に上海の家族に会いに行く朝鮮族のおばあさんと隣の席になった。またしても、私のことを韓国人と思ったのか、朝鮮語で話しかけられたので、日本人ですと伝えると、あまり上手とは言えない中国語で応対してくれた。話をしていると、90年代はじめくらいにある日本人がおばあさんの家にやってきて、おばあさんの家に泊めたことがあるらしかった。日本人がどれくらいの年齢だったのか尋ねてみると、当時で60代くらいの方だったらしいので、旧満州育ちの日本人が故郷を再訪問したものだったのだろう。延辺が日本との縁が深い場所であることを、ここでも改めて感じさせられた。

この旅を終えて「朝鮮とは何か」について、少し考えてみた。日本人にとっては「朝鮮語」とは言わずに「韓国語」と呼ぶことが多いように、朝鮮人=韓国人という固定観念があるように思う(私も以前はそうだった)。しかし、実際のところ、韓国以外にも、北朝鮮や中国、ロシア・中央アジアさらには日本など、様々な場所に朝鮮半島ルーツの人が住んでいて、それぞれに歴史や住む環境や考え方も異なっている。日本人は(私も含めて)ニュースなどを見て安易に朝鮮のことを分かった気でつい議論してしまうが、実際は多様性に富んでいて、とても複雑である。最も近い隣人である割には理解が難しい韓国や北朝鮮、中国の朝鮮族や日本の在日それぞれの立場や考え方の違いについて、今後もっと知りたいと思った。


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# by s326321 | 2017-05-30 13:08 | 中国東北旅行  

延辺朝鮮族自治州旅行③~長白山と朝鮮族の村を訪問

長白山のツアーに参加した日本人は私一人だけで、あとは韓国人のカップル一組と中国人だけであった。大型バスは満席の状態で、はぐれないように乗客同士で席に空きがないか、よく出発前にお互い確認するようガイドから指示を受けた。ガイドの葉さん(女性)は朝鮮族で、きれいな標準語を話しており、大人数の観光客をとても上手くさばいていた。彼女は途中で延辺朝鮮族自治州の紹介や長白山の説明をしてくれたが、その中で、北朝鮮についても少し触れていた。彼女は5年間ほど北朝鮮に滞在したことがあるらしく、北朝鮮に対して割と好意的な見方をしていた。曰く、北朝鮮は「教育費・医療・家賃」が無料のため、中国人男性のように家を買う必要がなく、結婚費用に悩むことがないので、北朝鮮男性は幸せであるとの話だった(女性も性格が優しいと強調していた)。確かに、上海ではよくローンや養育費について悩む話を聞くので、ある一面ではそうなのかもしれないと思った。

長白山は、シーズンではなかったので、そこまで人も多くはなく、程よいくらいだった。ただ、山頂では、山の麓で借りた分厚いコートを着ても耐えられない位に風も強く、とても寒かったので、あまりゆっくりと見れる環境ではなかった。有名な天地(火口湖)もまだ凍っている状態だったため、少し残念ではあったが、白樺の木が生い茂る麓から山頂まで景色の変化を楽しむことができて良かった。


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長白山の観光が終えた後、オプションツアーとして、朝鮮族部落「紅旗村」へ訪問した。ここは本当に朝鮮族が生活している村そのものといった風情で、町おこしとして観光客を受け入れている感じだった。レストランで村人の朝鮮舞踊や歌のショーを見た後、チマチョゴリを着た若い朝鮮族の女性ガイドと村を歩いていると、村人が朝鮮語で囃し立てていて、女性が照れくさそうにしていたのが印象的だった。ある朝鮮族のおばあさんの家に入って、オンドルの床に座って生活の話などを聞いた後、しばらくはまったりした雰囲気だったのだが、途中で朝鮮人参を棚から出してきて、商売の話になりそうになると、スーッと一部の中国人ツアー客が空気を察して家を出て行ったのが何となく滑稽で面白かった。やはり、この辺りで一番お金になる経済作目は朝鮮人参とのことで、長いものは10年くらい育ててから販売をするとの話だった。基本は農業をしながら、このように観光業も副業でやって収入を得ているとのことだが、この村の人たちは、中国人観光客をどのような気持ちで受け入れているのか、何となく気になった。ビジネスと割り切って案外ドライにやっているのかもしれないけれど、自分達の生活そのものを観光資源にするという行為は、何だか複雑な感じが個人的にはする。帰りのバスで、ジブリの「トトロ」や「おもひでぽろぽろ」の世界のような農村の風景を見ながら、この村の将来についてどう思っているのか、踊りを踊っていた若い朝鮮族の女の子に聞いてみたかったなと思った。


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# by s326321 | 2017-05-29 12:17 | 中国東北旅行  

延辺朝鮮族自治州旅行②~図们

2日目は延吉から高速鉄道に乗って北朝鮮との国境に位置する図们へ行った。わずか15分くらいで本当にあっという間の距離だった。図们は「颐和园」という映画で最果ての地という描かれ方をしていたので、どちらかというと暗いイメージを持っていたのだが、晴天だったこともあり、思っていたより暗い印象ではなかった。高速鉄道駅を降りたあと、公共バスに乗って市内に向かったのだが、何と途中でいきなり日光山への観光案内がはじまり、一通りの見どころを紹介した後、料金交渉が始まった。一人で国境観光をすることに危険を感じていたことと、一人30元という安さもあり、ほかの中国人と一緒にそのままバスに乗って国境観光をすることにした。途中から日本人とわかると、運転手から警備がいる地点では「絶対に日本語をしゃべらないように」と念を押されたが、どのみち一人だったので特に日本語をしゃべる機会もなく、中国人にまぎれて普通に国境観光を満喫した。概して、朝鮮側の印象としては、人が極端に少なく、中国側に比べてとても静かな感じだった。

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遊覧船に乗って写真を撮ったりと、一通り国境観光を楽しんだ後、古い朝鮮式の家屋を保存して開放している「百年部落」という朝鮮族の村へ行くことにした。タクシーに乗っていったのだが、ここで落とし穴が待っていた。北朝鮮と国境沿いの川沿いの図们江を進んでいくと、警備員のいるゲートがあり、職場など色々と職務質問を受けたうえに、携帯の写真を見てチェックされるなど、厄介なことになってしまった。幸いにも20分くらいで解放されたが、一般の中国人はするするとゲートを通り抜けているのを見て、やはり外国人にとっては、難しい地域だということを実感した。

タクシーの運転手とは、途中でいろいろと話しをした。運転手は山東省出身の漢族だったが、中国人は北朝鮮に対してどういう印象を持っているのか聞いてみると、「何の印象もない」との回答が返ってきて意外だった。実際、北朝鮮からも中国からも人の往来がほとんどないため、国境の街にいる中国人でさえも、その程度の認識のようだった。また、外地に働きに出る人も多く、高学歴の若者は中国の都会に行ってそのままそこで働く人が多いが、低学歴の人は、韓国や日本に出稼ぎに行く人も少なくないというようなことを聞いた。

「百年部落」では、一応入場券売り場はあったが、観光開発化がそこまで進んでいるわけではなく、普通に村を訪問しているような感じだった。百年前の朝鮮民家を見た後、村に矢倉があったので上ってみると、丁度村人がガイドをしていたので、横で聞いてみた。話によると、その矢倉は匪賊を見張るためのものであったとのことだった。矢倉からは、北朝鮮側も目と鼻の先にあるため見渡すことができるのだが、文革の時はここから北朝鮮側に逃げる人が結構いたらしく、北朝鮮側に渡ったひとはその後二度と戻ってくることはなかったとのことである。きっと、この地の朝鮮族は多かれ少なかれ、そうしたドラマを一つ一つの家族の歴史の中に持っているのだろうと思った。

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図们から延吉に戻ると、翌日に長白山へ行くための手配をするため、バスターミナルを回った。結局、延吉から朝いちばんのバスは出ていなかったため、バスターミナルのそばにある旅行会社主催の長白山一日観光ツアーに申し込むこことにした。そこでは、20代くらいの素朴な女の子が色々とツアーの内容を店員に聞いていて、日本のパスポートが珍しかったのか、「ちょっと見せて」と言われたので渡すと、パスポート表紙の写真を撮っていた。聞かれたので、日本人はほとんどビザなし観光ができることを伝えると「羨ましい」と言われて、改めて日本のパスポートの便利さを感じた。この旅行者では、北朝鮮の羅先行2日間のツアーも開催していたので、興味本位で少し内容を見てみた。すると、北朝鮮の子供のお遊戯のあとには、お菓子や文房具を与えるよう勧めているのだが、韓国・アメリカ・日本の国旗が書かれたものを与えないようにとわざわざ注意書きが書かれてあった。また、金日成主席の銅像の前で、金日成の恰好の真似をして写真を撮らないようにとも書かれており、実際にそうした行動が過去に問題になったのだろうなと想像した。


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# by s326321 | 2017-05-28 11:58 | 中国東北旅行  

延辺朝鮮族自治州旅行①~延吉


出発の日。この日は深夜4:00ごろまで家で仕事をやってから、朝5:00に家をタクシーで出発した。上海浦東空港から延吉空港まで約3時間の道のり。実際にかかるよりも心理的な距離はもっと遠い延辺だが、なぜどうしても来てみたかったのかというと、最近北朝鮮関連のニュースが多くなり、北朝鮮との国境に近いこの地で、朝鮮について自分の目と脚をつかって考えたかったからだ。ただ、最近北朝鮮でミサイル発射が続いており、政治情勢的に今は大丈夫なのか、直前まで不安に思う日々が続いていた。

延吉が近づいてきて、飛行機の窓からは、なだらかな山脈と緑いっぱいの田んぼが一面に広がっていた。延吉の初めの印象は「のどかな田舎だな」ということだった。ただ、延吉空港にはいくつかの戦闘機が止まっていて、早速少し緊張させられた。延吉空港に着陸してから、出口に向かうバスの途中、早速周囲の乗客の電話の話し声が中国語から朝鮮語に切り替わったのを聞いて、朝鮮族の地に来たことを実感させられた。空港では、早速朝鮮語と中国語の混じった看板表示を見て、テンションが少しあがった。


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タクシーに乗ってまず向かったのは、北朝鮮レストランがある有名な柳京ホテル。ホテルの従業員もほぼ北朝鮮籍の人と思われ、従業員同士は完全に朝鮮語で会話をしていた。ただ、フロントのお姉さんは良い意味でユルイ雰囲気で、マスカラばっちりの見た目に妙に甘い声をしていて、それなりに親切な対応をしてくれた(部屋を一度間違えて通したりしたが)。

ホテルから出た後は、早速「西市場」に向かった。「西市場」は朝鮮族の地元の食材や日用品が並ぶエリアで、今は百貨店の地下にある。階段を下りて市場へ入ってみると、まずその広さに驚かされた。販売しているおばちゃんたちの顔つきもいかにも朝鮮系の顔立ちで、市場に並ぶ食材も生鮮食品のほか、キムチ・お味噌・マッコリなど朝鮮族ならではのものが多く、ぐるぐると散策しながら、しばらく市場の雰囲気を楽しんだ。

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その後、プルハ河まで歩いていき、市場で買ったお餅を食べながら「地球の歩き方」を見ていると、突然男の人から「日本人ですか?」と中国語で話しかけられた。日本人であることを伝えると、彼は延吉でコンピュータ関係の仕事をしながら、キリスト教のボランティア活動をしているとのことだった。まさかこんな辺境の地で日本人に偶然会えるとは思っていなかったので、しばらく世間話をしたあと、最後にキリスト教団体のパンフレット(中国語)を渡されてから別れた。あとでそのパンフレットを少し調べてみると、エ〇バの証人の方だと知って、こんなところまで布教活動をしていることに驚いたのと、色々な人生の方がいるのだな、としみじみ感じさせられた。

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お餅を食べてお腹も膨らんだので、延吉公園に寄ってから、延辺大学まで行くことにした。延吉公園では、丁度祝日でイベントが行われており、民族服を着たおばちゃんがステージで民族舞踊を踊っていた。朝鮮族独特のカードゲームをやっているお年寄りや、地元の中学生もチャリティーバザーを行っていて、とても賑やかな雰囲気だった。中でも、野外でカラオケを行っているグループがあって、地元の人が代わる代わる交代で韓国の演歌を熱唱して踊っているのを見ているのは、とても楽しかった。
延吉大学ではその特徴的な建物以外は、特に見るものはなかったが、大学の前で食べた朝鮮冷麺は絶品で、これだけはまた食べたいと心から思わせる美味しさだった。

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夜は北朝鮮レストランでショーが見れるのを楽しみにしていたのだが、今日は中国人の団体客が来ていないのでショーは行わないとのことだった。お客も私以外には1組しかおらず、寂しい客入りだった。チマチョゴリを着て北朝鮮バッジを付けた服務員は確かに美人だったが、愛想があまり良くなかったうえに、料理もおいしくなかったので、段々と気づまりになってきて、一刻も早く出たい気分になってしまった。2人の店員のうち、片方は中国語が話せたが、どうやらもう片方は全く中国語が話せないようで、勘定の際にも朝鮮語ですべて応対をされた。当てが外れたので、結局また延吉公園に立ち寄ったのだが、夜になってもまだ例の野外カラオケをやっていた。公園で地元のおばちゃんたちの熱唱をぼんやりと聞きながら、北朝鮮美人によるショーは見れなかったが、これはこれでよかったのかもと思った。

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# by s326321 | 2017-05-27 10:03 | 中国東北旅行  

2度目の東北旅行⑧~ハルピン

旅行の最終日は、午後の飛行機までの時間をまたハルピンで過ごした。旧ロシア人墓地が今は中国人が建てた遊園地となっており、昔の聖堂がそのまま残っているとのことだったので、行ってみることにした。すると、遊園地の周辺は大きな仏教寺院(極楽寺)があり、想像以上に色々な人で賑わっていた。寺の前の大通りの先には聖堂、つまり遊園地の入り口があるのだが、バックの観覧車を背景にして、その是非はともかく、綺麗だと感じた。中国人の「利用できるものは何でも利用する」という実用思考は個人的には嫌いではなく、戦前の日本が残した施設も、ほぼそのまま生かされているのが中国のすごいところだ。ちなみにこの観覧車は、日本企業も参画して作ったものらしく、アジアでもかなりの大きさを誇るらしい。せっかくなので、観覧車に乗って、街を眺めてみた。霧(スモッグ?)によって正直あまり見晴らしがよいとは言えなかったものの、上空からロシア人墓地の跡地に建てられた遊園地を眺めて、何か考えさせられるものがあり、思いがけず貴重な体験となった。


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遊園地を出た後は、富裕な中国商人が戦前に建てた建築物が立ち並ぶ靖宇街周辺を歩いた。これらの建築は「中華バロック」様式と呼ばれる中洋折衷の建築様式に特色があり、確かに、西洋式の建築物の中をくぐると四合院を思わせるような作りになっていて面白かった。東北地方は、前回旅行した山東省などからたくさんの人々が移民をした土地でもあり、かつてのハルピンは色々な文化が混交して出来た不思議な場所だと改めて感じた。


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東北地方は中国の中でも比較的時の流れがゆっくりで、今でも過去と現代が日常の街並みの中でも交錯している場所だ。しかし、そんな東北でも、ハルビンはピッチを上げてどんどん変わりつつあることを実感した。これからの人生でまたハルビンに来る機会があるのかは分からないが、その時にはきっとまた新しい発見があることと思う。

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# by s326321 | 2017-04-04 17:04 | 中国東北旅行