クリスマスイブに京劇「虹霓関」を見る

クリスマスなんてどこ吹く風の一人ぼっちの休日。家にいてもますます心が塞いでくるので、とにかく外へ出ることにした。特に行きたいところはなかったので、まずは上海博物館に行き仏像と中国画を見た後、あとはいつものようにぶらぶらと福州路沿いの本屋で時間をつぶした。

福州路沿いには天蟾逸夫舞台(TIANCHAN YIFU THEATRE)という戦前からある古い劇場がある。主に京劇・越劇の上映をしており、庶民的な値段で本格的な舞台が楽しめるので、一番気に入っている劇場だ。京劇は女形が有名だが、越劇は京劇の反対で女性が男役も行う宝塚のような劇である。上海にいることもあり、越劇の方ばかりを見ていて、京劇はこれまで一度も上海に赴任してから見たことがなかった。

元々京劇にはあまり興味がなく、初めは特に見に行くつもりはなかったのだが、夕飯を食べながら携帯で何となく京劇について調べていると、何と偶然にも今日の演目は、あの芥川龍之介が上海で(しかも同じ劇場で)見た「虹霓関」(こうげいかん)という演目であることが分かった。これは一つの出会いであると感じたので、早速レストランから劇場に向かった。

今回の出演者は「上海戏剧学院」の先生が発表するということで、中等のチケットでわずか60元という価格だった。それでも、役者は実績のある人ばかりで、特に「虹霓関」主演の牟元笛は上海で唯一の若手女形ということだった。

「虹霓関」のあらすじは、夫を殺された「東方氏」が仇討ちに出るが、夫の仇である美少年「王伯党」に一目ぼれし、挙句には結婚してしまうという、なかなかぶっとんだ話である。

演劇を見た感想は、とにかく「東方氏」の心の動きが京劇の伝統的な所作で鮮やかに表現されていて、思わずどきっとしまうほど鮮やかだった。袖の使い方や、布をかむしぐさ、ちょっとした手の動きなど、京劇には思っていた以上に多彩な動きがあることが分かった。また、音楽も同じ旋律が何度も繰り返され、ちょっとトリップしてしまうような妖しい効果を醸し出していた。

家に帰ってから、芥川が京劇「虹霓関」を見て感想を述べている「侏儒の言葉」の一節を見返してみた。その中で彼は「男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである」と述べているが、劇中の「東方氏」は正にそうした強くて情の濃い女傑であった。それだけに、劇中で結婚式のあと、新婚夫婦の部屋で王伯党が東方氏を裏切って殺害するというラストが納得のいかない感じであったが、ネットで調べると、そうした内容は見当たらなかったので、もしからしたら現代の道徳感に合わせて無理やり付け加えられたラストなのかもしれないと思った。

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# by s326321 | 2016-12-24 23:35 | 観劇 | Comments(0)  

上海で「君の名は。」を見る

実は日本ですでに2回も見ているのだが、中国人があの映画を見て、どのような反応をするのか興味があり、3度目を上海で鑑賞。人民広場の映画館では映画のポスターや宣伝もなく、「本当に流行っているのか?」と疑問に思ったが、一度帰ってから、ロウ山関路駅前の映画館で切符を買おうとしたときは、1席しか空いておらず、さらに隣の百貨店内の映画館でも満席だったため、少なくとも古北地区では人気があることが分かった。結局、ロウ山関路駅前の映画館で鑑賞したのだが、日本人として外国人がどのような反応を示すのか、なぜか緊張してしまい、肩が凝ってしまった。でも、コミカルな場面では毎回観客から笑いが漏れて、日本とは違う国民性も感じられてよかった。若いカップルや女性同士が多かった印象だが、見終わったあとは「純愛ね」「きれいだった」という感想が聞こえてきた。「むすび」の翻訳など、外国映画ならではの難しさもあると思うが、日本の文化が外国の人に受け入れられるというのは、やはり日本人として嬉しいことなのだなと感じた。
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# by s326321 | 2016-12-03 03:56 | 上海駐在生活 | Comments(0)  

古華著「芙蓉鎮」を読んで

湖南省の小さな町を舞台に、文革とそれに翻弄された人々の人生を描いた物語。1964年の文革の嵐により初めの夫が自殺し、「新富農」のレッテルを張られ掃除婦に落とされた玉音は、唯一の支えだった2度目の夫:秦書田さえも労働改造で失うが、政治路線の変更で1979年突然名誉回復される。しかし、このように世の中の価値観が一変しても、それを実行した人たちは、「お上の命令だったから仕方がなかった」と責任を負おうとはしない。そんな自分だけの力ではどうすることもできない理不尽な世の中で、強く生きていくために秦書田が玉音に語る「世界は芙蓉鎮だけではない。世界はこんなにも広く、連綿と続いてきた。世界の存在はこの政治運動だけで成り立っているわけではなく、闘争ばかりしているわけでもない。世界にはもっともっと別の事柄があるんだ」「生きろ、家畜のように生き抜け」といった言葉が強烈で、とても印象的な作品だった。
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# by s326321 | 2016-11-21 15:46 | 読書 | Comments(0)  

大連・旅順旅行③〜旅順

旅順市内へは大連から長距離バスで1時間少しで行ける距離にある。旅順は日露戦争の舞台となった場所で、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で特に有名な街だ。そのため、日本人観光客も比較的多いようで、長距離バス前で待っていたタクシーの中にも、日本語の案内が置いてあった。それぞれの遺跡はかなり距離があるので、タクシーを一日チャーターして203高地、水市営会見所、ロシア軍要塞跡、慰霊塔、旧旅順駅などを回った。歴史的な意味のほかにも、都市にはない空気のきれいな山の上で、涼しい風に吹かれて風景を眺めているだけでも、来た価値はあったなと感じた。100年ほど前の遺構にも関わらず、遠い昔、例えばギリシャ時代の遺跡のようにも感じられ、不思議な感じがした。

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# by s326321 | 2016-06-10 12:07 | 中国東北旅行 | Comments(0)  

大連・旅順旅行②〜大連の街並み(旧日本人街)

大連に来た大きな目的であった日本との関わりのある風景を求めて、地図を片手に街を歩きまわった。印象としては、一口に日本人街といっても、当時から庶民が住んでいたところと上流階層が住んでいるところでははっきりと地区が分かれており、保存状態はばらばらだということだ。特に庶民が住んでいた家については、ほとんどスラムのように朽ちているところもあり、古ければよいというものではないことを強く感じさせれた。昔に加藤登紀子や三船敏郎、井上ひさし等が歩いたであろう街並みを夜に散歩していると、時を超えて思い出が蘇ってくるような、不思議な感覚がした。やはり日本人街であるので、家の作りが日本のそれに似ていて、ノスタルジックな感じがするのかもしれない。

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# by s326321 | 2016-06-09 11:34 | 中国東北旅行 | Comments(0)